2009年9月12日土曜日

大槻能楽堂自主公演能 ナイトシアター


今日は能の話。  
日本の古典芸能で、多分能が一番好き。
舞楽、雅楽その他神楽や神事、仏事芸能の様に千年以上前からの古い芸能から能狂言、浄瑠璃、歌舞伎、落語、講談、浪曲と大凡古典芸能は殆どどれも好きやけども、矢張り能が一番かも知れない。音楽的にも面白い部分があるし、ドラマツルギーとしても観るべき物がある。日本人の精神性を考える上でも面白いし、民俗学的にもオモロい。 能は、能楽と呼ばれる様になったのは近代からでそれ迄は猿(申)楽の能などと呼ばれていた。こう言う呼び方に就いては、第一回目にも書いた。http://mandanhoudan.blogspot.com/2009/08/21.html
こう言う呼び方は、当時の中華風をよしとする傾向が生んだ物であろうか。



>>大槻能楽堂と言う凄い所。
 大槻能楽堂は凄い。何が凄いかと言うと能と言う芸能を現代社会に適した形でエンタメとしても又伝統芸能としても、アートとしても興行として成功させてるからである。これは実に凄い事である。
 例えば、他の古典芸能、例の三大古典芸能では文楽、歌舞伎は常設の専門の小屋、今で言う劇場が在り、そこである一定の間上演される。つまり、初日から千秋楽まで。歌舞伎や文楽なら一月位、昼夜に公演される。落語等の寄席芸は大体、一月を三回に区切って出演者が入れ替わる様に成ってる。何もこれは古典劇だけではなく、商業演劇とかミュージカル、大衆演劇も、もっと言うと映画もこう言う形態。
 しかし、能はそう言う形を取らず「一期一会」一回こっきりである。
 また、大体の場合インディーズと言うか能楽師が自分で企画、主催してるのである。ここが他の芸能と決定的に違う所である。古典にしろ、それ以外にしろ大体が芸能事務所なり何成りに所属していて、ブッキングや何かはそちらのマネジメントになる。
 そもそも、能の場合は興行と言う風には言わないかもしれない。決まり事や、独特の舞台形式などがあるからか何日間も公演すると言う形は(殆ど)ない。なので、一公演一回限りの一期一会と成る。落語が解る人には噺家の独演会の様なモノと言えば良いか。観る方もそう心得て見に行ってる訳である。今日の公演を逃したから来週とか、次回と言うのはまずない。今日の組み合わせでの演能は二度と無いかも知れない。そう言う感じである。
 さて、大槻能楽堂の何が凄いかと言うと、端的に言ってここは自主公演能をもう、二十年程やっている。これは大変凄い事である。
 上に上げた様な理由で、能の上演と言うのはプロフェッショナルに寄る上演にも関わらず、一般的な興行形態ではなく全ての仕切りを能楽師が薦めて行く大前提だからである。だからインディーズと書いた訳である。そしてこの様な公演形態を始めたのもどうやらここが初めらしい。つまり、ここは大槻能楽堂と言う小屋が企画、主催をしているのであるが、これは能の世界ではエポックメーキングな事である。日本全国に能舞台は数々在るが、それは能楽師や能の各流派に所属すると言う原則である。例えばここ大槻能楽堂は元来は観世流の能楽師の家、大槻家のものである(現在は財団法人になってる)ので観世流の舞台しか勤められない事が常識である。だが、ここの企画する自主公演能では観世以外の流派の舞台も在る訳である。そう言う様な魅力ある内容の舞台を月代わりで毎回公演してるのである。更に、夏の蝋燭能や学者や作家、著名人をゲストに招いての公演等年間に二十回以上は自主公演を行っている。こう言う事をもう、二十年も行ってるのは全く凄いとしか言い様が無い。大阪に住んでいて良かったと思える事の一つである。
http://www.noh-kyogen.com/


>>おそらく初心者でも楽しめる「大槻能楽堂ナイトシアター」
 大槻能楽堂ナイトシアターと言う名目でレイトショーを行っている訳である。こう言う所がなにげに凄いのである。伝統の上にあぐらをかいていない。飽くまで都会に住んでる一般層のお客に来て貰い易い様に上演すると言う姿勢である。自主公演能は狂言一番と能一番で大体時間にして二時間弱である。
 19:30分開演なので、大阪市内に勤めているのならば時間が厳しいと言う事もないであろう。ミナミからでもキタからでも10分くらいでここ迄来れるし。また、自主公演の際には受付で筋書きを書いた紙を貰えるし、開演前に専属のアナウンサー女史により曲目の解説やその日の見所等を教えてもらえるので能に関しての全くの知識が無い人でもある程度迄は理解出来る筈である。また、詞章や意味等が分からなくても何と言ってもライブで芸能を観賞してる訳であるから面白いと思える部分や感じれる部分があると思う。



>>大変素晴しい自主公演能ではあるが
 あえて苦言を。開演に先立ちアナウンサーの方が曲目の解説や見所、更には事前に出演者にインタビューしてその日の心境や演者の観て欲しい所や抱負などを紹介してもらうのだが、この方の言葉遣いが以前から大変に気になる。それは「お能」「お舞台」「お仕手の先生(主役の先生)」と言う能の世界では常識かも知れないが一般常識的に考えて「馬鹿丁寧」とも取れる様な言葉を使われる事である。
 能の世界の方々が、ご自分達の世界観を大切にしてるのは解るし、そう言う部分は汲み取ってしかるべしであるが、我々は飽くまでも「お客様」である。見所(ここではみどころでと言う発音ではなく、けんしょと言う発音。能の世界では客席の事をさす)には、能を習ってる方々も居られるだろうが、それ意外の「普通の客」も多い。いや、もしかしたらここの自主公演能は、日本でも一番「能を習っていない一般客」が多いのでないかと思われる。つまり、純粋にエンターテイメントとしての能楽を鑑賞されてる方が多いのでは無いだろうか? 客席の雰囲気もそんな感じがある。なので、尚更「お舞台」とか言う表現は避けてもらいたい。これは最近の落語ブームで一般大衆、素人が噺家の事を「師匠」と言うのに似て、言葉としてちょっと違和感を感じる。こう言う言葉は素人ではなく玄人や門人(習ってる人、弟子、関係者)はそれで良いと思うが、全くの門外漢が使う言葉ではないと思う。良く例えるのだが、寿司屋で通ぶって「あがり」「むらさき」「がり」「おあいそ」と言う様な物ではないか。関係者は関係者にだけ解る言葉を使えば良いし、そうでなければ極端な表現は避けるべきだと思う。
 折角大衆に訴えかける様な魅力ある企画、舞台、内容なのでこう言う部分も気を使ってもらえればと思う。
 
上演中の写真は撮る事が出来ないので、終わってからの舞台。この舞台は戦前から在り、以前は椅子席ではなく桟敷席であった。
>>本日の公演
 内容に就いては今回は詳しく書かない。あまり良くなかったからでもある。狂言は悪くはないが「間」が詰まり過ぎてる感じがした。能は仕手が橋懸かりに出て来たときから少し不安になった。全体として申し合わせ(能の世界のリハーサルの様なもの)が充分ではなかったのかなと言う感じがした。謡や囃子も何かを待ってる様な間合いが気になった。良かったなと思えたのはアイ狂言の末社の神。
 次の公演に期待したい。能の事等はこれからも色々と書いて行くつもり。

 

2 件のコメント:

  1. こうやって紹介されているのを読むと
    どんどん敷居が低くなってきますね。
    レイトショーだと仕事終わりでも
    ギリギリ間に合いそうですし、
    一度足を運んでみたいと思います。

    ちなみにどんな公演でも曲目の解説等はあるのでしょうか?

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  2. A2Cさん

    書き込み有難うございます。

    >ちなみにどんな公演でも曲目の解説等はあるのでしょうか?

    いや、そう言う風にしてる公演と言うのは大変少ないです。
    例えば、能楽堂以外の公演、ホールとか市民会館とかそう言う
    ものや、鑑賞教室とかワークショップみたいなもんやと
    そう言う事もありますが基本は無いですね。もっと言うと、
    公演に先立って解説や現代訳を配るのは「邪道」やと思ってる
    方々も居てはるので、大槻能楽堂の取り組みは素晴しいと
    思います。

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