2009年10月25日日曜日

弱肉強食、天王寺動物園。


今迄の内容とはガラッと変わります。けど、まぁ日本文化をつぶさに考察してみたい、ってホンマかいな。 天王寺界隈は大阪市内の中心部上町台地周辺にあり歴史、文化に富んでいてある意味で最も大阪らしい。天王寺動物園は、国内でも3番目に古い動物園で都市の中にありながらも、その 環境整備には独自の魅力を発揮していて中々に面白い所です。

>>弱肉強食、天王寺動物園。
 天王寺の地名の由来は、近くにある四天王寺からですが、これがまた日本の寺の中でも最古参でこう言う所に歴史と伝統の深さ(京都、奈良なんかよりも大阪の方が歴史的に古い。その辺はもう一つのブログでも散々書いてますので善ければ読んでみてちょ)が解るものの、古色蒼然とした雰囲気が無いのも大阪っぽい。もっと、大阪っぽいのはこの辺は所謂浮浪者や日雇い労働者(通称あんこ)が沢山居ると言うのもあります。あ、ホームレスなんて変な外来語は使いたく無いです。浮浪者と言う言葉に差別意識は無いです。そう言う言葉をホームレスと言う言葉に置き換えたからと言うて何にも成らないし、却って日本語(日本文化)や考える力を骨抜きにするだけなので浮浪者を使わせてもらいます。たかが言葉と言えど、人が使ってるからと言う理由で、何でもかんでもそれを真似したくありません。ですが、『あんこ』は問題発言かもしれませんので、この言葉は使う人が気を付けて下さい。気になるようなら調べて下さい。どんな感じで気をつけるかと言うと、タマにブログ等を観てると「拙いブログですが」と謙遜されてる方々がいてはりますが、そのブログのコメントで、「いつもこちらの拙いブログを楽しみにしています」と書くのはちょっと・・・。てな感じでしょうか?
 さて、浮浪者と日雇い労働者はギリギリ違うのですが、日雇いの人らが仕事にあぶれると浮浪者の即戦力に成ると言う、資本主義社会のある意味の矛盾の部分を生きてる人たちでしょうか。で、そう言う資本主義の下の方の流れの人が日本で一番多い地域もこの辺なんですよ。大阪は色んな部分で東京に数とか量で負けてますが、こう言う部分はどうやら日本一の様です。けど、実はこれも可成り深い歴史と伝統に関わってる事なのです、実は。その辺の事はドンドン脱線してしまいますので今回は省きますが、能の弱法師(よろぼし)とか、説教節の俊徳丸とか、浄瑠璃の摂州合邦ヶ辻とかはその辺の事にも触れている芸能です。って、全部一緒の話やんと突っ込めた貴方は日本文化や芸能に明るい。
 もとい、これらの話しは差別と貧困と救済と再生がテーマに成ってます。で、何でその様な話しがこの天王寺界隈であるのかと言うと、ここには中世には色んな賎民階級や共同体からおんだされた人たちが救いを求めてやって来てたんですよね。それが、今でも使われる言葉の「西方浄土」とか言うやつです。それがここ四天王寺から往時は覗けると信じられていたのです。また、ここはそれよりももっともっと古い、聖徳太子の時代に(因にこの寺は聖徳太子の発願で建てられた、日本でも最古の寺です。)ここに移築した時に施療院、今で言う病院や療養所を建てたんですね。当時は疫病が流行って(太子の父親用明天皇も疫病で崩御される)いたので伝染病対策は国家的に急務でもあった訳です。そう言う事で庶民や行き倒れてる者を救済した言う(僕は個人的にはこの辺は疑問あり)伝説が、もう千年以上前から定着してる所で、昔からある意味行き場の無い人たちの行き場と成ってる訳ですね。ここから、熊野に向かう旧街道熊野海道を小栗海道とも呼び、この小栗は小栗判官と言う中世の説教節(浄瑠璃なんかのルーツに成る芸能)から取られてますが、これも差別と死と再生の物語です。そう言うものがこの辺には溢れている訳ですね。


>>浪速のサナンシティ、天王寺公園。

 僕の好きな漫画家に根本敬
http://www011.upp.so-net.ne.jp/TOKUSYUMANGA/が居てるんですけど、この人は昔からこの界隈に取材に来てるんですよね。厳密にはここより更にディープサウスに成りますけど。まぁ、広域で新世界界隈と言う所でしょうか。で、この人の数ある旨い表現に『肉食系』『草食系』と言うのがありまして、これが非情に非常に、この辺りの雰囲気を伝える言葉でもあります。最近流行の「草食系男子」とは微妙にニュアンスが違いますね。何と言うても根本敬画伯ですからね。簡単に言うと草食系と言うのはこの辺に居てる日雇い労働者のおっちゃんらで、「今生で出来る事は来世でも出来る」みたいな感じのライフスタイルですかね。まぁ、積極的と言う生き方ではないと言うか、ある意味がつがつしてないと言うか。当初TVでこの言葉が使われる際には「ダウナー系」と言う言葉が使われる筈だった様ですが、それはマズいと言う事になり急遽差し替えられた様ですが。そんで、肉食系と言うのは、この労働者を毎日ピックアップして建築現場に連れて行く仕事、詰まり手配師、人夫だしのおっちゃんらの事ですね。こちらは差し替え前には「アッパー系」と言う言葉に成っていた様です。この界隈にはこう言う「草食系」な方々が大変多いと言う情報を充分頭に入れて置いて下さい。
 さてさて、いつも通りに前置きが長く成りましたが、今日は前々から大変気になっていたこの天王寺動物園の近くのある壁画の写真を見てもらいましょう。
 この動物園は天王寺公園の一部で、公園内には天王寺動物園、大阪市立美術館などがあります。僕が若い頃にはこの公園には無料で入れたのですが、今は公園に入るだけで入園料を取ります。これは何の事はない浮浪者対策です。彼らには入ってくるなと言う事でしょう。まぁ、サンシティみたいなもんですかね。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3_%28%E5%8D%97%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%29
お金にシビアな大阪人はこの公園にワザワザお金を払って入る事は考えられません。入るときは、併設の美術館、動物園に入る時にある種の「通過料」として止むなしに払ってると考えて良いでしょう。つまり、この壁画が有るのは動物園の壁にあるんですね。何とも色んな意味で現実的ですな。以下は写真を参照下さい。

まず、ライオンが水牛を襲っていますね。あ、着物が夏物ですが、この写真はちょっと前に撮ってものでついブログに上げるの忘れていたのですけど、もう一度取り直す程の事も無いので、その夏に撮った物を載せてます。

次にハイエナが来て、屍肉をあさっていますね。あ、そんな事より危うし俺!ライオンが水牛を飛び越えてこっちに来そうです。


奇麗さっぱりと平らげられました。どうやら時期も大分と経ってるようです。合掌。

一番最初の画像を拡大しました。


まぁ、こう言う学術的で文化的な事業です。




artist united against apartheid
sun city

2009年10月3日土曜日

笑福亭福笑、笑福亭たま 初めての天満天神繁昌亭 




今日は落語の話です。

いや、厳密には落語を上演する空間、寄席の話し中心ですね。

落語と言うのも、前々から書いてますが比較的新しい言葉の様でんな。と、今日は大阪弁全開で行きまっせ、何せ上方噺の事を書く訳やさかいね。ええ、落語。詰まり、語りに落ちが着くと言う事でんな。これも落語と言う漢文調以前は、落とし噺、又はただ単に噺/話しと言うてた様です。そやから落語家の事も今でも、噺家と言いまっしゃろ?









>>上方落語。
 えー、寄席と言うのが大阪には、最近迄おへん(無かった)でした。そないに言うと、大勢の大阪人も「んな事はないやろ、吉本とか松竹とか昔からあるやないか!」と言います。けど、あれは劇場だす。松竹系でもよしもとでも、芯を打つのは芝居(喜劇)で、落語もいろもん(色物)扱いでした。いろもん言うのは本来は落語・講談以外の芸、万歳(漫才とは又違う)や奇術、音頭とか踊り、声色とかの事を指しました。昔の寄席では、落語・講談は墨書でしたがそれ以外は墨では書かなんだ(なかった)らしいです、そんで色もんと言う事です。
 僕もあんまり、劇場で落語を観た事が無いからあんまり詳しい事も書けまへんけども、特にちょっと前迄落語は一部の通と言うか、漫才(さっきの万歳とは違う)みたいお気軽な娯楽と言うのでも無く、かと言うて三大古典芸能ほどの伝統とか格式とか(若しくは排他性!?)の世界でもなく、何か微妙な立ち位置でした。人気はあるけど、そないにしょっちゅう、落語自体をTVとかでやってる訳でもない。けど何となく、親しみのあるその口調と顔ぶれ。オモロい人らやけどもその本芸に触れる機会が少ないと言うのが、極々一般的な大阪人、関西人の感覚やと思います。二大メジャー(前記有名芸能プロダクション兼劇場経営者)の劇場に行く人は関西ではそこそこいてるかも知れませんが、そこで本格的に本ネタをやってる噺家も案外少なかったと思います。


>>地域寄席。
 ほな、どこでどうやって落語を観れてん?と言う質問があると思います。今、東京に400人、上方に200人程の噺家がいてるらしいですけど、東京には毎日やってる寄席が確か三つくらいあったと思います。それに、演芸場が幾つかと今は二大メジャーの一つが東京に幾つか劇場を持ってますが、こちらで落語があるのかどうか知りません。まぁ、何しか東京には定席、詰まり毎日落語を打つ小屋が幾つかと、それ以外に色もんと一緒にやる所が幾つかある訳ですね。大阪にはそう言うのは無かったんですわ。無いにも関わらず、200人も噺家がいてるとはどう言う事や!?とも思いますわな。これには、今も沢山ありますが、大阪には地域寄席と言う、手作りの寄席、まぁ落語会ですけど、そう言うのが沢山ありまして、毎日何処かで落語会が開かれてる。これも、ほんまに規模の小さい所から、一地方の大きな公民館やホールを借りてやる大きいやつ迄色々とおます。それ以外に、独演会や一門会や勉強会などもあり、何処かでほぼ毎日、落語が聞ける様には成っていました。僕らみたいに戦後の定席を知らない上方演芸ファンはそう言う所でとかで落語観て、聴いてきたわけでんな。





>>繁昌亭、お初。
 上方落語好きに取っても、落語定席があればと言うのは見果てぬ夢でした。いや、前述の様にどっかで、ほぼ必ずと言うてええ位、落語はやってる訳ですが、それでもやっぱり昔の写真なんかで見る高座の模様はええ感じやし、東京にあって大阪に無いと言うんわ、大阪人の悔しがるポイントも高い(ほんまか?)し、寄席の雰囲気を味わいたいと言う風に思ってはる人も多かったと思います。
 そんな中、満を持して開館した繁昌亭。しかも丁度その頃は落語ブームと重なっていて予想以上の反響で持って迎えられた様でんな。そんな人気で席が摂り難いと言うのもあり、何とはなしに今迄行けませなんだが、つい先日行く機会がおました。しかも当日のトリは好きな噺家の一人、笑福亭福笑!わたいこの人のファンだんねん。それに一遍生で観たいなと思てた福笑の弟子、笑福亭たまも出る。


>>ええ小屋なんかな?
 当日は満員で補助席でした。詰まりパイプ椅子です。あの、折り畳みのやつです。ところがこれが可成り見にくい。丁度、目線が来る所に最後列の柵があって、これで舞台が遮断されます。ここに座ってると、二階がまだ空いてるのでと、そちらを勧められました。前列の方は詰まっていたので、一番後ろに座るも、椅子は狭い。何か上の方から噺家を覗く感じやし、これはまだ下の方がマシやなと思い、開口一番の噺家が済んだら大急ぎで次の笑福亭たまを観るべく下に向かいました。
 建物の外観はま、良しとしてぶっちゃけ、小屋の立ち位置としては何か微妙なもんを感じましたな。もうちょっと大きくてもええと思いましたね。まして、若い人間に成れば成る程、立ても横も面積も体積も大きく成る訳ですから、もうちょっと席に余裕があっても良いかな。それに舞台にはマイクが立ってる(これも何か不格好な気がします。昭和30年代でも無いのであそこにマイクを立てる必要あんのかな?今のマイクて高性能やからあそこにマイクを立てる必要も無いよな気がするんですが・・・)ので、あんまし箱としての大きさを気にする必要は無いのではないかなとも思います。座席自体はあれの1.5倍くらいあっても善いと思いまんなぁ。特に最近の若手は大きなホールとか結構人の入ってる所での喋り(TVの公開録音とか)そう言うのに基本的に成れてると思うんで、あれよりもう少し大きいくらいでは、演者が特別やり難いと言う様な事も無いと思うんですけど、これはまぁ、あそこに立って(座って)みんとなんともですけど。数年後に改装を期待します。その節にはもっとバリアフリーと、駐車場は無くても仕方ないけど、最低限度駐輪場は作って欲しいですね。庶民が気楽に自転車で行ける寄席と言うんはええもんやと思うんですけど・・・。





笑福亭福笑は好きな噺家の一人です。
写真は今年の彦八祭りで撮らせて頂きました。



 >>みんな使うから使う?『師匠』と言う表記。
 以前にも書きましたが、最近は落語ブームのお陰で色んなとこで落語の話題を目にします。色んな人に落語の魅力を知って貰えるん大変よろしい事やとも思うてます。けど、これも色んなとこで言うたり書いたりしてますが、噺家を指して「師匠」と言うのはどうも変な感じがします。東京の方は知りませんが、大阪ではあんまり普通の人々が芸の玄人衆である噺家を「師匠」とは呼ばなんだと思いますし、昔から周りで芸人を指して「師匠」と言う風に呼んでいたのを知りません。洒落は置いといといてですよ。子どもが敢えてそう言う使い方とすると言うのはあると思います。いや、僕もそう言うガキやでした。説明すんのも野暮やけど、普通は一般人が師匠と言うのは可笑しい、それを敢えて関係のない人間が言うから、それも入門どころか中学生や高校生が言うからオモロいと言う構図。そんなん飽くまでも「教室・部室の笑い」みたいなもんです。けど、ええ大人の言うたり、書いたりする洒落ではおまへんな。ところが最近のブログ等を読むとやたらめたら噺家を「師匠」と敬称の様に用いてますがとても変な感じがします。そんな別に入門してる訳でも、落語を教わってる訳でも、そして多分、知り合いでも関係者でもないんですから気色悪い気がします。最近は新聞や雑誌等でも「師匠」と言う風に使っていて可成り違和感があります。もっと驚いたのは、講談師を旭堂●○師匠と書いてるのも見ました。講談師は「先生」で「師匠」とは呼ばんと思います。でも多分そんな違いは普通は知らないと思うのです。だったら、そんな知らない符牒であるとか専門用語とか業界用語をワザワザ使う必要ないと思います。何遍も書いてますが、寿司屋で「ガリ」「アガリ」「ムラサキ」「オアイソ」と恰も通ぶって符牒を用いるのと一緒で普通の人が普通に使う言葉ではないと思います。飽くまで仲間内に通じる洒落とかなら話しは別ですが・・・。
 さて、当日ですが初めて生で見た笑福亭たまはオモロかったです。独演会とかに行ってみたい気がしました。そして、意外に善かったのが色もんの宮川青丸・とん子です。むかし、浪花座とかで見た時には何とも言えませなんだが、久々に見て大変オモロかったです。そして林家笑丸も良かったです。落語では無く珍芸と言う感じでしたが(いやいや、一応古典落語『ほうじの茶』なんですが、それ以外にも紙切りとかの寄席芸とかウクレレ漫談風に成っていたりと古典では括れない!)さらに色々とこなさはる器用な方です。そしてトリは福笑でしたが枕が長かったなと言う感じでした。で話しも古典やのうて(ここんとこあんまり古典見てない)新作で下げ迄いかずでちょっと物足りなかったかな。あ、オモロいしファンなんで何でも良いんですけどねw 
またいきたいですね、繁昌亭。