2009年8月23日日曜日

文楽  夏休み文楽特別公演 平成21年 文楽劇場


こんにちわ。今迄ブロガーで自転車の事や何かを二カ国語で書いて来ましたが、ここではそれ以外の事を書いて行こうと思います。今日は少し前に見に行った人形浄瑠璃(文楽)の事を書きます。



>>今はこの人形浄瑠璃は正式名称は『文楽』と言う事である。

 文楽と言う風になったのは人形浄瑠璃の歴史を借りに500年くらいとしておくと、この100年程の事らしいですね。義太夫と言うたり、浄瑠璃と言うたり文楽と言うたりややこしいなと思っていました。

 さて、この文楽と言う芸能であるが、日本では三大古典劇として『能楽』『歌舞伎』『文楽』と言う風に呼ばれている。因に能楽も能楽と言う漢文調になったのは明治からであるし、歌舞伎も芝居と呼ばれていたので、ワザワザ歌舞伎という言葉を使う様に成ったのは近代以降と思われるがこの辺は知らない。そう言えば『落語』と言うのも近代以降。昔は『落とし話』か『噺』今でも落語家を噺家と言う。


>>最近連続して観た。

 先ずは、新作。シェークスピア原作、山田正一脚色、鶴沢寛治作曲の『天変斯止嵐后晴 てんぺすとあらしのちはれ』である。元々のものとしては連合王国(所謂イギリス。英国と言う表現法は偏ってると思いますんで、United Kingdomeと言う意味を表すこの言葉を使います)で1991年に行われたジャパン・フェスティバルで上演予定であったらしい。


>>ところで、僕は文楽通ではない。

 文楽を見出したのも、『国立文楽劇場』からで、それ以前にもミナミでやってるのは何となくは知っていたがぜんっぜんっ興味がなかった。そんな人間の書く事なので余りあてにならないと思う。

 演出としては、通常の文楽の場合はまず、幕が引かれると黒子が拍子木を持って現れ本日の外題に就いての口上を述べるが、定式幕は無かった様に記憶してる。緞帳が下がっていて、それが上がると第一場『暴風雨』であり、これは台詞や人形は登場しない。三味線弾きが舞台上に並び三味と琴の合奏である。これが文楽としても異例。文楽では人形と人形遣い以外が舞台に上がる事は基本的に無いからである。音楽と照明のみの演出である。照明と書いたが、これも異例と言える。古典劇でもある文楽はその演出作法としては、照明を効果的に使うと言う演出は用いないからである。

 それで音楽であるが、これも『めりやす』と言うよりは『リフレイン』と言う感じで雰囲気も曲も通常の文楽とは又違う。が、これが文楽風に仕上がってるのは不思議でもある。

 この後、第二場『窟の中』になり、人形が舞台上に登場する。この時から義太夫と三味線が舞台袖に現れる。ここは、『床』と呼ばれる所で厳密には舞台ではない。第一場、二場と書いて来たがこれも普通文楽では、一段、二段、と構成されその段も更に細かく区切られる事もある。ここから大夫、三味線、人形遣の三位一体と成った舞台が展開される訳であるが、どうも大夫が弱い。三味線は活き活きと語ってる漢字なのだが、『舌耕』と言う感じではないのである。暫く聴いてても何を言うてるのか解らなくなる。いや、古典の場合はそんな事は大概ない。意味が解り難い日本語は多々あるのだが、音として聞き取れる。

 しかし、テンペストに関して言うと、聞き取れないのだ。これは熟れて無いのではないかと聴いてて思った。例えば、古典なら師匠に習う。更に他の師匠連、兄弟子と色々と現場で学べる。更にはフィルムで、ビデオでTVでCDで先人の芸もその気になれば学習できる。けど新作は全くの創作である。自分で新しいキャラクターを作らないと行けない。それには、それなりの時間も掛かるであろうし慣れもあるであろう。ところでこの曲に関してはそう言う時間が無かったのかも知れない。そう言った感じが第六場 元の森の中くらい迄続く。しかし、それとは対照的で三味線は全体に渡って活き活きとしてる。特にこの曲の作曲者でもあるからだろうが、鶴沢清治は素晴しい。三味線がぐいぐいと場を引っ張って行く感じがした。実は今迄これほど三味線が良いと思えたのは、今回が初めてかも知れない。大夫の中では豊竹咲甫大夫が出色の出来であった。


 

>>大変厳しい事を言うと・・・。

 三味線や演出、人形などは良かったが大夫が弱いなと言う感想である。言葉が解らず、度々字幕を見なければ成らなかった。僕は古典の時には殆ど字幕を見ない。つまり、これ迄に見てきた古典作品ではそれぞれの大夫の台詞が曲りなりにも熟れてるので、聞き取れないと言う事は無かった。これは本当に酷かも知れないが、大夫にはもっともっとちゃんとやって貰いたい。目を閉じて浄瑠璃を聴くと言う感じには成れなかった。


>>けど矢張り、作品全体としては良かった。

 文楽と呼ばれる前は、『義太夫』『浄瑠璃』と呼ばれ、語りを聴く芸であり『文楽を見に行く』とは言わず『義太夫/浄瑠璃』を聴きに行くものであった。なので、大夫が弱いとどうしても作品としては辛い点に成ってしまう。ですが、今回私と同行した方は文楽初体験でしたが、観るもの聴くもの全てが面白かった様で、大変満足されていました。

 そう言う意味では大成功です。私の様に色々と舞台を鑑賞してる様な人間が良いと言う様なモノより、この方の様に初めてで感激出来る様なモノならばそれは作品として大成功だと思います。なので全体としては大変良かったと思います。機会があればご覧下さい。


参考http://foldersandmobile.blogspot.com/2009/08/noh-kabuki-bunraku-and-other.html


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