2009年10月3日土曜日

笑福亭福笑、笑福亭たま 初めての天満天神繁昌亭 




今日は落語の話です。

いや、厳密には落語を上演する空間、寄席の話し中心ですね。

落語と言うのも、前々から書いてますが比較的新しい言葉の様でんな。と、今日は大阪弁全開で行きまっせ、何せ上方噺の事を書く訳やさかいね。ええ、落語。詰まり、語りに落ちが着くと言う事でんな。これも落語と言う漢文調以前は、落とし噺、又はただ単に噺/話しと言うてた様です。そやから落語家の事も今でも、噺家と言いまっしゃろ?









>>上方落語。
 えー、寄席と言うのが大阪には、最近迄おへん(無かった)でした。そないに言うと、大勢の大阪人も「んな事はないやろ、吉本とか松竹とか昔からあるやないか!」と言います。けど、あれは劇場だす。松竹系でもよしもとでも、芯を打つのは芝居(喜劇)で、落語もいろもん(色物)扱いでした。いろもん言うのは本来は落語・講談以外の芸、万歳(漫才とは又違う)や奇術、音頭とか踊り、声色とかの事を指しました。昔の寄席では、落語・講談は墨書でしたがそれ以外は墨では書かなんだ(なかった)らしいです、そんで色もんと言う事です。
 僕もあんまり、劇場で落語を観た事が無いからあんまり詳しい事も書けまへんけども、特にちょっと前迄落語は一部の通と言うか、漫才(さっきの万歳とは違う)みたいお気軽な娯楽と言うのでも無く、かと言うて三大古典芸能ほどの伝統とか格式とか(若しくは排他性!?)の世界でもなく、何か微妙な立ち位置でした。人気はあるけど、そないにしょっちゅう、落語自体をTVとかでやってる訳でもない。けど何となく、親しみのあるその口調と顔ぶれ。オモロい人らやけどもその本芸に触れる機会が少ないと言うのが、極々一般的な大阪人、関西人の感覚やと思います。二大メジャー(前記有名芸能プロダクション兼劇場経営者)の劇場に行く人は関西ではそこそこいてるかも知れませんが、そこで本格的に本ネタをやってる噺家も案外少なかったと思います。


>>地域寄席。
 ほな、どこでどうやって落語を観れてん?と言う質問があると思います。今、東京に400人、上方に200人程の噺家がいてるらしいですけど、東京には毎日やってる寄席が確か三つくらいあったと思います。それに、演芸場が幾つかと今は二大メジャーの一つが東京に幾つか劇場を持ってますが、こちらで落語があるのかどうか知りません。まぁ、何しか東京には定席、詰まり毎日落語を打つ小屋が幾つかと、それ以外に色もんと一緒にやる所が幾つかある訳ですね。大阪にはそう言うのは無かったんですわ。無いにも関わらず、200人も噺家がいてるとはどう言う事や!?とも思いますわな。これには、今も沢山ありますが、大阪には地域寄席と言う、手作りの寄席、まぁ落語会ですけど、そう言うのが沢山ありまして、毎日何処かで落語会が開かれてる。これも、ほんまに規模の小さい所から、一地方の大きな公民館やホールを借りてやる大きいやつ迄色々とおます。それ以外に、独演会や一門会や勉強会などもあり、何処かでほぼ毎日、落語が聞ける様には成っていました。僕らみたいに戦後の定席を知らない上方演芸ファンはそう言う所でとかで落語観て、聴いてきたわけでんな。





>>繁昌亭、お初。
 上方落語好きに取っても、落語定席があればと言うのは見果てぬ夢でした。いや、前述の様にどっかで、ほぼ必ずと言うてええ位、落語はやってる訳ですが、それでもやっぱり昔の写真なんかで見る高座の模様はええ感じやし、東京にあって大阪に無いと言うんわ、大阪人の悔しがるポイントも高い(ほんまか?)し、寄席の雰囲気を味わいたいと言う風に思ってはる人も多かったと思います。
 そんな中、満を持して開館した繁昌亭。しかも丁度その頃は落語ブームと重なっていて予想以上の反響で持って迎えられた様でんな。そんな人気で席が摂り難いと言うのもあり、何とはなしに今迄行けませなんだが、つい先日行く機会がおました。しかも当日のトリは好きな噺家の一人、笑福亭福笑!わたいこの人のファンだんねん。それに一遍生で観たいなと思てた福笑の弟子、笑福亭たまも出る。


>>ええ小屋なんかな?
 当日は満員で補助席でした。詰まりパイプ椅子です。あの、折り畳みのやつです。ところがこれが可成り見にくい。丁度、目線が来る所に最後列の柵があって、これで舞台が遮断されます。ここに座ってると、二階がまだ空いてるのでと、そちらを勧められました。前列の方は詰まっていたので、一番後ろに座るも、椅子は狭い。何か上の方から噺家を覗く感じやし、これはまだ下の方がマシやなと思い、開口一番の噺家が済んだら大急ぎで次の笑福亭たまを観るべく下に向かいました。
 建物の外観はま、良しとしてぶっちゃけ、小屋の立ち位置としては何か微妙なもんを感じましたな。もうちょっと大きくてもええと思いましたね。まして、若い人間に成れば成る程、立ても横も面積も体積も大きく成る訳ですから、もうちょっと席に余裕があっても良いかな。それに舞台にはマイクが立ってる(これも何か不格好な気がします。昭和30年代でも無いのであそこにマイクを立てる必要あんのかな?今のマイクて高性能やからあそこにマイクを立てる必要も無いよな気がするんですが・・・)ので、あんまし箱としての大きさを気にする必要は無いのではないかなとも思います。座席自体はあれの1.5倍くらいあっても善いと思いまんなぁ。特に最近の若手は大きなホールとか結構人の入ってる所での喋り(TVの公開録音とか)そう言うのに基本的に成れてると思うんで、あれよりもう少し大きいくらいでは、演者が特別やり難いと言う様な事も無いと思うんですけど、これはまぁ、あそこに立って(座って)みんとなんともですけど。数年後に改装を期待します。その節にはもっとバリアフリーと、駐車場は無くても仕方ないけど、最低限度駐輪場は作って欲しいですね。庶民が気楽に自転車で行ける寄席と言うんはええもんやと思うんですけど・・・。





笑福亭福笑は好きな噺家の一人です。
写真は今年の彦八祭りで撮らせて頂きました。



 >>みんな使うから使う?『師匠』と言う表記。
 以前にも書きましたが、最近は落語ブームのお陰で色んなとこで落語の話題を目にします。色んな人に落語の魅力を知って貰えるん大変よろしい事やとも思うてます。けど、これも色んなとこで言うたり書いたりしてますが、噺家を指して「師匠」と言うのはどうも変な感じがします。東京の方は知りませんが、大阪ではあんまり普通の人々が芸の玄人衆である噺家を「師匠」とは呼ばなんだと思いますし、昔から周りで芸人を指して「師匠」と言う風に呼んでいたのを知りません。洒落は置いといといてですよ。子どもが敢えてそう言う使い方とすると言うのはあると思います。いや、僕もそう言うガキやでした。説明すんのも野暮やけど、普通は一般人が師匠と言うのは可笑しい、それを敢えて関係のない人間が言うから、それも入門どころか中学生や高校生が言うからオモロいと言う構図。そんなん飽くまでも「教室・部室の笑い」みたいなもんです。けど、ええ大人の言うたり、書いたりする洒落ではおまへんな。ところが最近のブログ等を読むとやたらめたら噺家を「師匠」と敬称の様に用いてますがとても変な感じがします。そんな別に入門してる訳でも、落語を教わってる訳でも、そして多分、知り合いでも関係者でもないんですから気色悪い気がします。最近は新聞や雑誌等でも「師匠」と言う風に使っていて可成り違和感があります。もっと驚いたのは、講談師を旭堂●○師匠と書いてるのも見ました。講談師は「先生」で「師匠」とは呼ばんと思います。でも多分そんな違いは普通は知らないと思うのです。だったら、そんな知らない符牒であるとか専門用語とか業界用語をワザワザ使う必要ないと思います。何遍も書いてますが、寿司屋で「ガリ」「アガリ」「ムラサキ」「オアイソ」と恰も通ぶって符牒を用いるのと一緒で普通の人が普通に使う言葉ではないと思います。飽くまで仲間内に通じる洒落とかなら話しは別ですが・・・。
 さて、当日ですが初めて生で見た笑福亭たまはオモロかったです。独演会とかに行ってみたい気がしました。そして、意外に善かったのが色もんの宮川青丸・とん子です。むかし、浪花座とかで見た時には何とも言えませなんだが、久々に見て大変オモロかったです。そして林家笑丸も良かったです。落語では無く珍芸と言う感じでしたが(いやいや、一応古典落語『ほうじの茶』なんですが、それ以外にも紙切りとかの寄席芸とかウクレレ漫談風に成っていたりと古典では括れない!)さらに色々とこなさはる器用な方です。そしてトリは福笑でしたが枕が長かったなと言う感じでした。で話しも古典やのうて(ここんとこあんまり古典見てない)新作で下げ迄いかずでちょっと物足りなかったかな。あ、オモロいしファンなんで何でも良いんですけどねw 
またいきたいですね、繁昌亭。

2 件のコメント:

  1. 1800円という値段が魅力ですね。
    あとは指定席だともう少し行きやすいように感じました。

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  2. うん、行きやすいですね。
    指定席でも好いと思うんですけど、
    なんでそう成ってないんでしょうね?
    そう言う所に俺の大好きやった桂枝雀
    (とその一門と弟弟子の桂ざこば)が
    上方落語協会を脱退した事の理由が
    垣間みれ・・・
    いやいやそんな事は無いよな(爆)ないない!

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