2009年9月8日火曜日

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 3   Do androids dream of electric sheep? iii


前々回、前回からの引き続き。

>>客間より老人室(居間)の方が更に格が高かった。
 耕三寺耕三師は実業界での成功の後、一人残された母親孝行の為にこの屋敷を建てた。その頃には寺は愚か辺は何も無かったらしい。どうやら、屋敷の前に通ってる道路等も師が私材を投げ打って整えたようである。他にも学校を建てたり色々と地元の開発に貢献した様である。どうやら、戦前のこの辺は果樹園の広がる単なるのんびりとした田舎であったらしい。この地を訪れた時に、風光明媚でありながらどこか学術的と言うか文化的な風土の感じがしたのであるが、この潮聲閣が立った頃はそうでもなかったのだろうか?生前、師は地元に観光名所が無い事を嘆いていたらしい。また、その事が後の耕三寺の伽藍配置に深く繋がってる様である。この辺の事は後で触れたいが、今は潮聲閣。
 さて、孝行の為に建てたこの和洋折衷洋式の館は、耕三師の母が最晩年の数年をここで暮らした。その頃は、ここは山でありそれを開き道も整えたようである。今は、この潮聲閣の真ん前には耕三寺の博物館、〔金剛館〕が経っているし、その向こうは最近出来たこの島出身の画家平山郁夫の美術館もある(前に延べた文化・学、芸術的な街の雰囲気はこれらに負う所が多いと思う)し、その向こうにはちょっとした集落に成っている。だが、潮聲閣が建った頃はその様なモノもなく、恐らくはこの小高い場所から海を臨めたのではないのだろうか。建物が塩の音を聞くと言う意趣なら、山号も潮聲山であり、寺号は耕三寺である。この山号寺号は母の菩提を弔う為に母の死後、得度して西の日光と称される伽藍を建立するのである。つまりは、この阿蘭若は母の墓とも言える。個人の為の物と言う点では、日光の東照宮が家康を神として祀ったと言うのが奇しくも一致する。因に日光は東照宮と言う「宮」で家康は「神」として祀られてる。
 その晩年の住まいである潮聲閣の中心は老人室と呼ばれる、母の居室、即ち居間であった。床の間を配した純然たる和室は堂上、大名の一室と言う趣であった。


床の間には三十六歌仙絵巻が「しれ〜」と下がっていた・・・。

>>無知とは怖い。
 それは、自分の事であるが、ここに三十六歌仙絵巻の一つがあったとは知らなかった。勿論佐竹本である。老人室の室礼の説明を一通り聴いていて床の間に目が釘付けになった。案内の女性は「三十六歌仙絵巻です」これも一連の流れ作業の様に覚えた台詞をサラリと宣われた。とこ柱や格天井などの近代の匠の技も大変に素晴しいし全て絶筆に尽くし難いと言うか、ここの建造物、家具、調度、設え等の本質に関しては前回、前々回とも触れていないし、論評するつもりは無い。三回に渡って書いてるが全て「事やモノの周囲をサラリと撫でてる」だけである。モノが良いとか悪いとか、建物が美しいとか見にくいとか、そう言う事に触れていない。
 「もちろん、写しですよね?」「ええ、現物は博物館の方にあります。毎年ゴールデンウィークに(と言う風に言うたと思います)出て来ます」「ここにあったんですか」「はい」と女性はこれも一連の丸暗記の解説の様な感じで応えられた。もうこれはパンチが大き過ぎた。こうなると外にある別館の〔金剛館〕に早く行きたく成って来た。こちらは仏教美術メインと言う事である。
 
金剛館は寺を一旦出た外にある。

>>仏教美術〔金剛館〕
 前々項で宗教に対しての考え方を示した。私は家系上の宗派としては先祖代々浄土宗に属する。しかし神社仏閣に詣でるのを趣味とするので、真言宗寺院ならばマントラを神道ならば祝詞を、と臨機応変に上げさせてもらってる。個人の営みとしての宗教には何の異論も反論も無い。政治家が靖国神社に詣でる事に関しても、しっかりと神道の道を外さずに参って貰えるのなら特に言う事もない。また、国民の認識上の宗教も前に上げた徳川が何故神社に祀られ、いや祀らなければ成らなかったのか、日本人に取って神とは神社とは何かと言う事をしっかりとふまえた上での靖国神社云々と言う話はしても良いと思うし、実際にはそう言う話をして来た。だが、この事が解らず、知らずに人の言う事を鵜呑みにしての靖国問題うんぬん等はハナから聴かないしそう言う人士と会話する事もない。勿論「人の言う事」はマスコミ、ネット、本等の擬人化されたものも含む。要は自分の意見のない人物、身の丈にあってない言葉を語るものである。
 団体としての宗教には関心はないとも書いた。しかし、私は超人でも修行の出来た人間でも無いので目で見て、耳で聞き、手で触れる感覚が必要で宗教を体現させる、建物や像、絵巻や建造物は必要であろうと思う。どんなに敬虔な信者であっても一番最初の入門の時にはこう言った具体性が無ければ、信者としての目は開かれないのではなかろうか?なので既存宗教団体の施設である寺や教会、仏閣に訪れる。
 神社仏閣に訪れる楽しみは、自然と対峙する、自分の心と向き合う、人の心に触れると色々とあるが自分に取っての最大の関心は、幼少期から建造物と仏像等を見に行くと言う事であった。これは物心付いた頃からそうしてきた。自宅では美術全集をひもとき、休日にここに連れて行け、この像が見たいと父母に懇願した。
 神や仏や守護神などの超常現象をそれこそ文盲の、無知の、無明の中に居る大衆達に法を、道を教える為に工芸品としての宗教美術はこうして関西で主に作られて行った。それは見るものに想像力や思索する力を与える様な物ではなく、見た瞬間に理解させる様なモノであった。今の様な仏像に哲学的な事を求めたり、あたかも静かに対話するかの様な「見仏」は本来から外れているし、これは近代的な「頭で考える」行為である。

これは耕三寺耕三師がまだ得度前に、母親の為の家潮聲閣を建てた時に作った給水塔であるが、これは実は当時の最先端技術を駆使した物であり、ここに師の技術者としての水準の高さが現れている。向こうに見えるのは平山郁夫美術館。

>>更に脱線を続ける。
 この金剛館の向こうには、平山郁夫美術館がある。氏もまた、宗教と深い関わりを持つ、いやある意味現代では絵仏師と言えるかも知れない。この島に生まれ広島で被爆し、そしてその後の模索を経て現在に繋がる絵画世界の細い道をたぐり、それはシルクロード言う広大な道と成り、今は日本を代表する画家となった。ここにあった作品で三賢者が集う絵があった。釈迦、キリストと孔子である。しかし、これは本当は氏は孔子ではなく「最後の預言者」即ちムハンマドにしたかったのではなかろうか?氏程に世界的に名声もあり、世界中を見てこれらた方なら絶対にそうだったと思うのであるが。しかしそれは無理だったのであろう。今そう言う事をすると「制裁」を加えると言う表明も出されるかもしれない。しかし、神道や仏教、またキリスト教のある程度はこれらと違って偶像を許してるので(キリスト教も神像は作らない。作るのはキリスト、母のマリアとカソリックならば聖人と呼ばれる人々である。回教はムハンマドの絵すらも認めたく無く、この数百年程は描かれていない様である。)美術品の幅も広い。ユダヤ教や回教となると偶像どころか芸術(品)を否定的に捉える部分(と言うか、そう言う解釈をすると言う事。ユダヤ教や回教が偏狭な宗教と言う事は決して無い。それは逆に言うと我々が彼岸の文化に無知なだけである。)があり、こう言った寺院、教会、会堂には絵とか像とかはあんまり残されては居ない。
 神道も元来は回教、ユダヤ教、キリスト教同様に偶像崇拝をしない。元が汎神論的と言うか、森羅万象が神と言う現象で成り立ってると言っても良いかもしれない。仏教が入って来る迄は神殿すらもなかった。今も奈良の大神神社や磯上神宮などの古い神社には、神殿はない。神殿の無い神社こそある意味で神社神道の正統とも言える。しかし、仏教と言う目に見える「科学」、詰まり日本建築では不可能であった高層の塔や耐久性の強い瓦葺きの建物と言う高度な土木建築技術を目の当たりにした旧勢力としての神道は、こう言った目に見える物の力に頼らざるを得なかった。
 建築に於ける神道は一定の基準を確立した。それは私たちが今日知っている鳥居であったり、手水舍であったりと言う今神社には必要欠くべからずモノ達である。だが、神像に就いては中世以来作られていない様である。そもそもが不可視である神と言う存在をしかも、実は日本語で神と言う時には「神々」と言う意味を暗に含むので具体的に表すのは格段に難しい。例えて言うならば、宇宙の端から端を説明するのに似ている。言葉では、書けるかも知れないが絵や彫刻では明らかに限界がある。現に仏教でさえ創造神とか至高神である様な存在は曼荼羅の様な抽象性の強い手段で表現される。


>>金剛館、ここにも矢張り意外な展開であった。
 寺と言うのは、寺宝と呼ばれる様な物を持っていて、それを一般に公開していたりする。中には、奈良の興福寺の様にその千年に渡る華麗なコレクションを堂々と公開してる(だが実際には正倉院展が超満員になるのに比べると寂しいのだが・・・)処もあれば秘仏として代々秘密のベールに包まれた物もあり、それらをご開帳して年に一度公の目にさらす様な事もある。
 しかし、ここは昭和の一桁に出来た寺なので、相伝の寺宝があるはずがない。また、今迄ここで視て来たものは、ここに縁の物や出土された物でもなく、かつては何処かで誰かの手で手厚く庇護されていた物が中心である。そして、その原則はこの金剛館でもその通りである。
 宗派は浄土真宗である。だが、寺宝は平安期から江戸時代の仏教美術が宗派を問わず並べられていた。また、明治以前の仏教の形、神仏習合と言う形式の美術品も並べられている。今は神社とお寺はそれぞれ別々であるがつい100年程前迄は「神も仏も」一緒くたであり、それこそが日本人の精神性でもあった。そう言う風に、ここには様々な宗派、時期の仏教(必然的に神道も含む)美術を保存している。それ以外にも神道工芸や考古資料の展示を行い年に数度の企画展も開催している。
  
この建物を作る時に文部省から図面を借りたそうである。これに関わらず、どの建物も師の技術者としての特徴が出て来てる構造、工法、発想がありそれらもここの独特の雰囲気として色濃く出ている。


    大団円

 耕三寺耕三師の詳細は善く解らなかったのだが、ここが参考になった。http://www.hico.jp/ronnbunn/uenoryou/kodomono/227-247.htm 長いので、第三段落 *「遠野をたずねる前、ぼくは瀬戸内海の島をまわっている。」以降から読めば良いかもしれません。この文章の筆者は児童文学の上野瞭氏。
 リーフレットを見ずにお山を回ったのあるが、ここに載ってる耕三師は何か想像していた人物に近かった。ここにも貼っておくが、ダウンタウンの松本のコントの時の扮装と言うか、中島らもがこれ又、コントの時に扮装してる様な雰囲気である。着ている着物からもただ成らぬ雰囲気が漂っている。潮聲閣で視た肖像画の軸よりも遥かに親しみ易いお顔である。


 耕三師は、実業界で成功でここに母親の菩提を弔う阿蘭若を建立した。師はそれ以前から地元の開発に関心を持ち観光名所としての寺の造営にも熱心であった様だ。それはここには所謂「箱モノ」としての観光名所が無かったからである。実業界での成功は特許と軍需工場に指定された事で莫大な金銭的成功をもたらし、師はこれらで名宝を買い漁った様である。恐らくは地元に貢献するべくにそれらを集めたのであろう。また、師のそう言う銘品、名品の追求はどうやら茶道や姻戚関係にも及んだようである。それが、藪内家の名品の所有に繋がっているのであろう、但し両家の具体的な関係は不明。だが、藪内宗家の惣領に許される燕庵の写しを許されてる居る点等はすでに一門人と弟子と言う関係を「何かで越えた」と考えなければ普通には到底理解出来ない。
 興福寺の像等も幾つかがあるがこれ等はまだある程度想像出来る事もあるが、しかし何がしかの財界、文化会、茶人、数寄者の大きな後ろ盾か後押しでも有ったと思う。更に伽藍を巡ってる時に垣間みたのだが、平等院鳳凰堂を模した際には文部省から図面を借りたと、サラリと注釈が書かれていたが、一体文部省が図面等貸してくれるのであろうか?言葉は悪いが瀬戸内の新興の一田舎寺に中央の官僚が何故便宜を図るのか、そんなに良い時代であったのか?
 学芸員の方に少しお話を伺う機会があったので訪ねてみたが、学芸員氏も実は実際の由来をご存じないらしく、奇妙な話ではあるがこれ程の名宝と言える様なコレクションがどの様に得られたのか不思議らしい。いや勿論、氏はプロとしての必要な情報は全てご存知の筈であるし、そう成ると益々(私なんかよりも)「どう言う風に集められたのか」は解らなく成ってくるかも知れない。だが、氏に幾つかの疑問をぶつけてみる事で解りかけた事があった。それらはここでは書く事は遠慮して置く、ネット上にも転がっていない情報であったし勘の良い人ならこの文章に書かれてる事で充分に解ると思えるし、実際にここを訪れて係の方々に色々とお尋ねに成れば良いと思う。
 ある意味大変世俗的でありながら、仏教と言う脱世の器での表現に挑み続けた耕三寺耕三師。その辺のアンビバレンツさがびんびんと私には響いて来た。謎は色々とあったが実は又行きたいと思う不思議な寺、博物館、観光施設であった。合掌。


耕三寺のWEBサイト
http://www.kousanji.or.jp/index.html



付記
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
http://www.sancya.com/book/book/syohyo_a38.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

3 件のコメント:

  1. むは!何だかベネッセの直島なんか比にならん気がしてきた。給水塔に感激しました。水は命ですから。特に四国や離島は水に大変苦しんできました。一勺の水も大切に心して使うということを、本当に教えられる土地柄です。

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  2. BianZi小姐
    いや、全く水木しげる的世界でもありますよ!
    東西きっかい紳士録とかに登場しそうな方やと思います。
    しかもちょうど、展示されていたのは妖怪の絵巻の展示とか
    してたんで、まさに「むは!」でしたよ。
    終わりの方は「ぽわーん」でしたわw


    >水は命ですから。

    の様ですね。
    井戸とか何かよりもこれは有効やったんでしょうかね。

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  3. いついこかな~と思います。先日伯母に聞いたら、ふははと笑って、海賊は自らの出自を言わんやろからな、、、と言ってました。倭寇とか水軍とか古式泳法とか面白いですよ。

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